ウズベキスタンへようこそ

こだわりの旅・ABDA Travel Co. LTD は,中央アジア 諸国 (ウズベキスタン,トルクメニスタン,キルギス,カザフスタン,タジキスタン) 5カ国の観光や業務視察等、現地での 日本語ガイド,交通機関,ホテル,他,各種ツアー(現地発着の地獄の門1泊2日ツアー他)の手配を専門とする旅行社です。ウズベキスタンの首都タシケントを中心として各国のパートナーと常に連携を取り、最新の現地旅行情報に基づき、ツアーの企画手配やお見積りをご案内をしています。
UZBEKISTAN (ウズベキスタン)
シルクロードの中継地として長い歴史を持つウズベキスタン。近年日本との交流が増え、北にカザフスタン、南はトルクメニスタン、東にキルギスやタジキスタン諸国と国境と接し、ほゞ中央アジアの中央に位置しています。サマルカンドをはじめとして古代シルクロードのオアシス都市群を残し多くの遺跡や世界遺産を有しています。

良いお旅を!

のんびりできるウズベキスタン旅行日程 

  タシケントからブハラ、シャフリサーブス、サマルカンドを巡るプランとなっています。ブハラではメッカに次ぐ聖地バハウッディンを、サマルカンドでは1日かけてゆっくりと世界遺産を観光します。

遥か遠い昔、東洋と西洋を結んだ東西交易路シルクロード。その丁度、中間に位置し、キャラバン隊のオアシスとして発展したのがウズベキスタン。

ウズベキスタンは、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、そして、ウズベキスタンの5カ国からなる中央アジア諸国のひとつ。いずれの国も1991年に旧ソ連が崩壊して生まれた新しい国です。そしてウズベキスタンは、他の4カ国すべてと国境を接している唯一の国。つまり、中央アジア諸国の真ん中であり、シルクロードのど真ん中にあります。そんなウズベキスタンには、今もシルクロードの香りが漂う街が点在しています。

 

ウズベキスタンの緑豊かな首都タシケント

 ウズベキスタンの首都。またタシケント州の州都で,中央アジアの中心地。チャトカリスキー山脈の西,シルダリア支流チルチク川の右岸,標高 450480mの地にある。市の起源は前21世紀にさかのぼると考えられ,古来ジャジ,チャチケント,シャシケント,ビンケントなどの名で知られてきた。現市名は 11世紀頃より使われ,ウズベク語で「石の町」を意味する。ヨーロッパとオリエントを結ぶ通商路上の交易・手工業中心地として栄えていたが,8世紀アラブ人に,13世紀初めモンゴル人に征服され,チムール帝国,シャイバーニー朝の支配を経て,19世紀初めコカンド・ハン国領,そして 1865年ロシア領に入った。以後ロシア領トルキスタンの行政中心地となり,旧市街のそばに新市街がつくられ,発展した。革命後トルキスタン自治共和国の首都となり,1930年ウズベク=ソビエト社会主義共和国の首都となった。 19664月大地震に見舞われ,大損害を受けたが,当時のソビエト連邦各地からの援助により急速に復興し,近代的な大都市に変貌した。 1991年独立したウズベキスタンの首都となる。繊維コンビナートがあるほか,農業機械,電気ケーブル,掘削機,繊維機械,コンプレッサ,ベアリング,ガス器具などを製造する機械・器具工業が発達し,化学 (医薬品,染料) ,食品などの工業も盛んである。また中央アジアの文化,研究,学術の中心として,タシケント大学 (1920) をはじめとする多数の大学,科学アカデミーの各種研究所,ナボイオペラ・バレエ劇場,その他の劇場,ウズベク民族・歴史博物館,ナボイ図書館などがある。中央アジアの交通の中心地で,各地と鉄道,ハイウェーで結ばれるほか,パキスタン,インド,アフガニスタンなど南アジアと空路で連絡する。市内には中央アジアで初めてつくられた地下鉄がある。 1516世紀のイスラム建築物が残っており,バラクハン・イスラム教学院は中央アジア・カザフスタン・イスラム教本部となっている

  タシュケント地下鉄は、ウズベキスタンの首都タシケントでで運行されている地下鉄である。中央アジアでは最初の地下鉄である。ソビエト連邦では7番目の地下鉄として、1977年に開業した。タシュケント地下鉄の駅は世界の地下鉄の中もかなり凝った装飾がなされている。

 

 

 

 

 

 現時点で、タシュケント地下鉄には全部で29駅あるが、各駅の建築様式と装飾はその駅名を表現している。タシュケント地下鉄の特徴として、各駅がかなり浅い位置に設置されていることがある。いくつかの駅にはエスカレーターが設置されている。7つの駅はタワー様式で、4つの駅がアーチ様式、1つの駅がtower-individual様式である。ウズベキスタンでも有名な建築家や芸術家が駅の設計に参加している。内装の装飾に使われている材料としては、金属、ガラス、プラスチック、花崗岩、大理石、色ガラス、芸術用陶器、彫刻入り石膏などがある。各駅とも芸術作品となっており、あるテーマを中心にしている。

 

 

 

シルクロード時代のオアシス都市サマルカンドとブハラ。

 

ウズベキスタンの古都。アム・ダリヤ支流のゼラフシャン川河岸にあり,機械,化学,綿花,絹,皮革などの工業が行われる。前10世紀ころからイラン系の人びとのオアシス都市として発展し,前4世紀にマラカンダの名で知られ,14世紀末―15世紀にティムール帝国の首都として繁栄。のちトルコ系のウズベク人のブハラ・ハーン国に属し,1868年ロシア軍に占領されロシア領トルキスタンに編入された。ブハラと同様タジク人の都市であったが,ソ連になって1924年の民族的境界画定によりウズベク共和国に区分され,1930年までその主都。ペレストロイカ期以降,タジク人としての社会・文化運動が起こっている。レギスタン広場,グール・アミール,シャーヒ・ジンダなど中世の建築,陵墓が多く,2001年世界文化遺産にも登録されている。

 

 ウズベキスタン中部,ブハラ州の州都。ゼラフシャン川下流部の三角州にあるシャフルド運河に臨む。1世紀頃に起源をもつといわれる古都で,709年アラブが侵攻したときは商業,手工業の町として栄えていた。9世紀サーマン朝の首都となり,10世紀カラハン朝,次いで西遼の支配下に入り,1220年モンゴルに,1370年チムール軍に占領された。 16世紀中頃ウズベクシャイバーニー朝の首都となり,のちブハラ・ハン国の首都となったが,1868年ロシアの保護下に入った。 1920~24年ブハラ人民共和国の首都。 1950年代後半,付近で天然ガスが発見されてから急速に発展し,繊維 (絹,綿) ,アストラカン加工,食品などの工業があるほか,機械工業,金属細工の手工業も盛んである。サーマン廟 (9~10世紀) ,カリャンの塔 (12世紀) ,ウルグベク・イスラム教学院 (15世紀) などの建築記念物が多く保存される旧市街は,1993年世界遺産の文化遺産に登録。教育大学がある。首都タシケントの西南西約 450kmにあり,鉄道,空路で結ばれている。

 

 

 

タイムスリープ,旧市街のヒヴァ

  ウズベキスタンの都市ヒヴァは、首都タシケントの西約750km、ウルゲンチ市から南西に35kmのアムダリヤ川の下流のオアシスの町です。
古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として繁栄しました。

『中央アジアの真珠』とも謳われるヒヴァは、いかにも古いイスラムの町という印象を受けますが、ペルシャなどの周辺諸国の攻撃によって何度か破壊されているので、現在見ることができるのは17世紀から18世紀に整えられた建造物です。

 

 

 

 

ヒヴァ、砂漠に浮かぶ城塞市です。高さ8mの城壁に囲まれた旧市街(イチャン・カラ)には、モスクやメドレセ・廟などが中世のまま時を止めて残されています。イチャン・カラ全体がユネスコの世界文化遺産として保存されています。

 19世紀にヒヴァの街は2つに分割されます。10メートルの高さの城壁で囲まれたイチャンカラ(城壁の内側の街)とディシャンカラ(外側の街)とになり、同時に街全体は複数の居住地や村に囲まれる形となりました。

 

 

 

 

 イチャンカラは高さ6~8メートル、厚さ6~7メートル、長さ2.2キロメートルの城壁で囲まれた街で、ヒヴァの26ヘクタールのエリアを占めています。城壁は中央アジアの他の要塞同様、日干しレンガで作られています。城壁は何度も破壊されましたが、常に再建され続けてきました。

イチャンカラはヒヴァ・ハーン国の宮殿のためのエリアであり、高級官僚、聖職者、裕福な商人等が住んでいました。一般の人々や商人、職人達はディシャンカラ(イチャンカラの外側のエリア)に住んでいました。

現在では、ヒヴァの古い建造物はイチャンカラ州立博物館となり、市街地は1990年にユネスコの世界遺産に登録されました。市街地には54の歴史的な建造物があり、旧市街となったイチャンカラの現在の人口は2600名、360の世帯があります。そしてヒヴァ・イチャンカラ州立博物館には3000年以上の歴史をもつ、 40000点もの貴重な遺産が展示されています。

 

 

有名なウズベキスタン料理

何千年もオアシス住民が住んできたウズベキスタンでは文化の交差点・シルクロードを感じさせるような、さまざまな料理があります。内陸国なので、基本的に肉料理がメインとなり、中でも羊肉と牛肉、鶏肉が中心になっており、豚肉は宗教上の理由があって、ほとんど登場しません。どんな料理を注文しても、たいていナン(パン)とチャイ(お茶など)は必ず出てきます。

 

 

 OSH(プロフ)はウズベキスタンの代表的な食べ物です。OSH(オシ)プロフは大きな鍋でお米、綿や羊の油、にんじん、たまねぎ、肉を入れてゆっくり炊き上げ、サフランで味付けします。豆やレーズンなどもたくさん入っていて、甘いものもあります。たっぷりと黄色いにんじんや柔らかくなった味の濃いお肉が乗っており、かなり脂っこい料理です。トマトなどのサラダと一緒に食べると相性抜群。これまたナンと同様に、地方や家庭によって味が違います

 

 

 

 

シャシリック(ケバブ)いわゆる串焼き料理のこと。バザールや屋台で盛んに食べられるファーストフード的な存在でもあります。シャシリクに用いられるお肉は牛肉、羊肉、鶏肉などさまざまで、地方や宗教・伝統に応じて魚や野菜なども食べられています。

 

 

 祝祭日

  11日    元日

   38日    国際婦人デー

   321日   ナブルーズ(春分の日 

  59日    戦勝記念日

  91日    独立記念日

  101日    教師の日

 128日    憲法記念日

移動祝日のラマダーン・ハイートとクルバン・ハイート

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